前回のものからずいぶん時間が空いてしまった。
これを逐一覗いていただいている方はいないと思うが、ともすればお店が繫盛して忙しいと思われるかもしれない。
これだけは、はっきりと言わなければならない。
お店は暇だ。
いつでも100%の笑顔でお出迎えするので、安心して隠れ扉を開けていただきたい。
言い訳がましくなるが、この数週間も物は書いていた。
挙げてみると
・静かな嵐のはなし
・物質的幸福とお金のはなし
・音量とジャズ喫茶のはなし
・カクテルとジャズのはなし
・店主の語り口と星のはなし☆彡
とまぁまぁ書いているのだが、様々な理由で蔵に入ってもらっている。
もし、聞きたい話があったら直接店主に聴いてみるといい。
そのうちに、仕上げるかもしれない。
前置きはここらにしておこう。
No Room For Squareには様々のお客様が隠し扉を開けている。
その様々な方が満足できるよう選曲も考えている、つもりだ。
ある日、非常に音楽を聴いていられるお客様がいらした。
かけるレコード一つ一つに反応し、ジャケットの写真を撮っているお客様。
少しずつお話をしていき、帰り際に「最近レコード買う元気もなくなっていたのですが、今日元気が出ました」と言っていただいた。
成程、レコードを買う行為も体力がいるのか。と店主は不思議に思った。
だって、時間があるときにレコード屋に行けばいいのだから、そこまでハードルの高い話ではなかろう。
お客様がお店を出られたのちの、お店には店主独りになった。
色々と作業をしながら先ほどの言葉を反芻するには十分な時間があった。
自身の今までの人生を顧みると、確かに先ほどの言葉の真意が見えてくる。
忘れていたのだが、店主にも確かにそういった時期があった。
店主もこの店を開ける前は一丁前にサラリーマンをしていた。
就職をしたての頃は、ほぼ毎週レコード屋に足を運び、10-20枚ほどの音源を買っていた。しかし、1日の中での仕事の占有率が上がるにつれて、気付くと月に1回も行かないような生活になっていった。
あの時の事を思い返すと、何かの情報を得る事を全て避けていたようにも思える。
そう、「情報を得る行為」は体力のいるのだ。
言い換えると「何か前に進む為の行為は体力がいる」のかもしれない。
その体力というのは、身体的なものではなく、心因的なものなのだろうけれど。
そういった、ひょっとすると当たり前の事柄に気付くと今まで疑問に思っていた事にも得心する。
例えば。
店主は大学から楽器を始めたので、何年も楽器を続けていた同期達と大きな技術の壁があった。
皆が出来る事も出来ずに、別室で独り練習していた口惜しさが今の原動力になっている。
しかし、大学も卒業して数年経つと、あの時皆にちやほやされていた同期は皆一様に楽器をやめていた。
「やる場所がなくて」
「休日も忙しいの」
といった話を聞くたびに、仕方ないかと思いつつある一種の虚しさも覚えている。
これも、今思えば彼女達は日々の生活を続けている中で、楽器を続ける為のモチベーションを維持する体力を無くしていたのだろう。
また、こんな話も聞いたことがある。
フランスのある音楽ストリーミングサービス企業が調べたところ、新たな音楽を探求するのは30歳までだという結果になった。というのだ。
これも、30歳になると結婚や出産、会社での立場など今まで通りの行動が出来なくなり、新たなものを探求する体力がなくなってしまうからではないかと店主は思う。
No Room For Squareには、素晴らしいお客様が来られる。
その中には還暦を超えた方も多いが、いまだに新しいモノを探している素敵な方も多い。
人の死はいつなのか。というと色々な議論が生まれるかもしれないが、店主は前進することをやめたときは、一つの死を迎えるのではないかと考えている。
昔の前進したことを懐かしみ、ある種の言い訳をしながら、現状を受けれるのも悪いことではないと思う。だが、店主は寂しく思う。
多忙な毎日を送っている人たちが、新たなモノを知る楽しみを思い出せるために、No Room For Squareが存在できれば言うことはない。
皆様、心の体力足りてますか?
店主
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